資本論第1部 第17章 労働力の価値または価格の労賃への転化の解説
資本論第1部 資本の生産過程
第6篇 労賃
第17章 労働力の価値または価格の労賃への転化
労働力の価値とは、労働力を再生するために必要な価値量によって決まる。
具体的には、
⑴自分自身を再生産
⑵自分の家族を再生産
⑶教育費
にかかる価値量によって決まる。
これは商品の価格がそれを生産するために必要な価値量によって決まるのと同様である。
針を生産するには一定量の労働(価値の源泉)が投入される必要があり、これが針の価値量となる。
同様に、労働力を生産するのにも(上記の⑴〜⑶)、一定量の価値量が必要である。
しかし、
実際には、労働力の価値は労賃として現象するので、
具体的な労働の機能自体に対して賃金が支払われるように現象し、
労働力の再生産にかかったコスト(価値量)、
つまり⑴〜⑶によって決まるという本質が覆い隠されてしまう。
労働力の価値が賃金として現象することで、
全ての労働が支払労働として現象する。
結果、
不支払労働(剰余労働)の部分が見えなくなる。
対して、不役労働では、不役民が領主のためにやる強制労働と
彼ら自身の生活手段を補填するための労働は空間的、時間に分離しているので、
差異がわかりやすい。
需要と供給で労働力の価値を説明する古典派経済学は
転倒した認識(現象形態)にとどまるために
物事の本質にせまることはできない。
マルクスは、転倒した認識が発生する原因について解説する。
転倒した現実認識が発生する理由として
①資本と労働との間の交換が他の全ての商品の売買と全く同じ仕方で現れる(現象する)。
つまり等価交換として現象するということ。
② 労働力の使用価値である労働が価格をもつのは、綿花の使用価値が価格を持つのと同じ。
もちろん使用価値と交換価値は別物であるが、言語表現として
「労働の価値」はそれほど不合理ではない。
例えば、「パソコンの価値」という表現は、
その使用価値を指すとも、交換価値を指すとも言えるからである。
③ 賃金の支払いが労働が終わった後に行われるので、ますます労働への支払いにならざるえない。
④労働者が供給するものが、実際には彼の労働力ではなく
一定の具体的有用労働であり、
その同じ労働が別の面からみれば一般的な価値形成要素であることは、
科学的分析によらなければならない。
⑤労賃のとる現実的な変化
現実の労賃変動は、労働日の長さによって変動する。
同じような作業に従事する労働者の賃金が差異する場合、
あたかも労働の質的差異のように見える。
また、資本家の頭の中でも不支払労働を搾取しているという認識はない。
資本家は安く買って高く売るという単純な搾取の関係が頭の中にあるだけである。
つまり、彼らの頭にあるのは、
労働力の価格と労働力の機能が作り出す価格との差だけであり、
この点では、労働力は他の商品となんら変わりはない。
もし労働力の価値通りに賃金を支払えば、資本というもの存在しない
という風には資本家は考えない。
この章では、労働力の価値が労賃として現象し、
本質の方である、労働力の価値は見えなくなる点について
論じられた。
構造的な所有(資本家は労働者の不支払労働を搾取する)と
非所有(生産手段を持たない労働者は不支払労働を搾取されざるえない)
の不平等関係は多い隠される。
【資本論の全体像】
第1部 資本の生産過程
第2部 資本の流通過程
第3部 資本主義的生産の総過程 1、2巻の理論がどう現実の中で顕在化するかを記述。