資本論第1部 第13章第8節大工業によるマニュファクチャ、手工業、家内労働の変革の解説

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資本論第1部 資本の生産過程
第4篇 相対的剰余価値の生産
第13章 機械と大工業
第8節 大工業によるマニュファクチャ、手工業、家内労働の変革の解説


第8節大工業によるマニュファクチャ、手工業、家内労働の変革は

a - e に分かれている。

a: 手工業と分業とにもとづく協業の廃棄

b: マニュファクチャと家内労働とへの工業制度の反作用

c: 近代マニュファクチャ

d: 近代的家内労働

e: 近代的マニュファクチャおよび近代的家内労働との大工業への移行。これらの経営様式への
工業法の適用によるこの革命の進展

 

aの「手工業と分業とにもとづく協業の廃棄」はこのセクションのタイトル通りの内容。

機械化 → 手工業に基づく協業の廃棄。

bの「マニュファクチャと家内労働とへの工業制度の反作用」の反作用とは平たく言うと”悪い作用”。


古い型の家内工業とは、独立な都市手工業、独立な農民経営、労働者家族の”家”を前提。


近代的家内工業とは、工場やマニュファクチャの外業部。


マニュファクチャや家内労働でも


生産過程をその色々な段階に分解し、自然科学の応用によって、解決するという機械経営が浸透してく。

反作用(悪い作用)として、


機械経営化により、安価で未熟な労働力(婦人や子供)の搾取がより露骨なものになる。

また、分業化、分散化により労働者たちの抵抗力も減っていく。就業不規則性の増大が起き、光や換気なども取り上げられる。


次の


c: 近代マニュファクチャ

d: 近代的家内労働


では、


劣悪な労働条件のもと、健康を害した労働者の様子が例証されている。

 

 

つぎに、

 

e: 近代的マニュファクチャおよび近代的家内労働との大工業への移行。これらの経営様式への
工業法の適用によるこの革命の進展について解説する。


まずは、冒頭でマルクスはこのように語る。
 
単に女性や未成年を搾取するだけでは、それ以上労働力を安くできない。


故に、機械経営化と分散していた家内労働の工場経営への転化が起きる。


これにより更なる生産プロセスの効率化が起きる。


加えて、工場法も大工業化、機械経営化を促進。


工場法により、


労働日の強制的規制や一定の年齢に達しない一切の児童の使用が禁止される。


すると、何かが起きるか?

 

 

 


一方では、工場法により、法的に強制された中休みは、


作業を周期的、および突然休むことを強制する。


新しい労働規制の中で生産の確実性を確保するのに機械経営は適合的である。

 


他方では、効率性の観点から、共同で利用される生産手段の拡張が起きる。


つまり、生産手段の集積とそれに対応する労働者の密集が起きる。

 

また、小経営が規制に耐えられない場合は、その一領域がまるま る大企業に譲り渡されることも生じ、これも更なる機械化、大工業を推し進める要因たりうる。

 


また、工場法の適応を受けてない部面では、繁忙期は周期的にものすごい過度労働が行われる。


つまり、資本家としては、いつでも利用できる使い捨て可能な産業予備軍が一定数いてくれた方が良いのである。


これは、現代のいわゆる非正規労働の問題とも繋がる話だろう。

 

 

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資本論第1部 資本の生産過程 相対的剰余価値とは何か?

相対的剰余価値とは何か?

 

機械化などにより、生産効率を上げることにより、同じ労働時間で多くの商品の生産が可能になる。

 

すると、労働者自身を再生産するのに必要な価値量である必要労働時間が低下する。

 

結果的に、必要労働と剰余労働の割合でいうと、剰余労働の割合が増えることで、剰余価値が上昇するを指す。

 

以下、構成要素にブレイクダウンして説明していく。

 

 

剰余価値とは何か?

 

剰余価値とは、必要労働を超えて労働が働くことから得られる剰余価値である。

 

では必要労働とは何か?


必要労働とは以下の3つの要因から成る。

 


⑴労働者が自分自身が生活していくために必要な価値量(実際的には貨幣量で表示される)。

 

⑵労働者が家族を養うために必要な価値量。

 

⑶労働者のスキルアップ、教育費のために必要な価値量。

 

労働者が自分自身を再生産するために必要な価値量が必要労働である。

 

資本論では、賃金は、必要労働(その構成要素は上記の3つ)に収斂されていくという設定だ。

 

ある会社員が月あたり20万円もらっていたとする。


その人が毎月、長時間労働していて、


25万円分に相当する貢献を会社にしていたとしても、


その人の生活を再生産するために必要な賃金の水準が20万円なら、


賃金の水準は20万に収斂していく。

 

賃金を分配で考えるよりも、


生産サイドに都合の良い水準に収斂していくというのがマルクス経済学の賃金理論だ。

 

 

剰余価値とはこの会社員の例で言うと、

 

本来、25万円分の貢献をしていても、賃金は20万円ほどに収斂する。

 

剰余価値 = 労働者が生み出した総価値量 ー 必要労働


仮に労働者が生み出した総価値量が25万円とすると、


25万円(総価値) ー 20万円(必要労働) = 5万円(剰余価値)


が資本家が得る剰余価値となる。

 

剰余価値が生み出される方法は

 

大きくわけて2通りある。

 

⑴絶対的剰余価値



⑵相対的剰余価値


だ。

 


⑴絶対的剰余価値とは、


同じ生産効率で、労働者により長時間働いてもらうことにより得られる剰余価値である。


⑵相対的剰余価値とは

 

生産効率を上げることで、

 

労働者が購入する日用品、生活必需品の価格が低下することで、必要労働が低下し、剰余価値が生産されることを言う。

 

先の例でいうと、

 

25万円(総価値) ー 18万円(必要労働) = 7万円(剰余労働)

 

つまり、生産効率が上がることにより、日用品の価格が下がり、


その結果、必要労働が低下することで


労働者が自分自身を再生産するコストが低下するので、


賃金水準が低下する。


結果的に、剰余価値が増えるという理屈だ。


これは、現代的に言うと、


すき家吉野家などの格安外食チェーン


百円ショップの普及などにより、


生活費を安くすることが比較的、容易になっていることと符号する。

 

この事実は、資本家サイドにとってメリットがあるのだ。


労働者への再分配を抑えて、


資本家の利益を最大化しても、


労働者が飢え死にしない状況があると、


賃金水準が上昇しにくいという現象が起こる。


マルクス経済学ではあくまでも、賃金は生産サイドの理屈できまり、


労働者への公平な分配という論理はない。


労働者は資本家の所有物であり、


資本家が自分の所有物をどう扱おうと、

 

資本家の勝手である。


、、、という、資本主義の冷酷な現実を分析している本が資本論だ。

資本論第1部 第13章機械と大工業  第7節 機械経営の発展に伴う労働者の排出と吸引 綿業恐慌の要約

 「第13章7節 機械経営の発展に伴う労働者の排出と吸引 綿業恐慌」について


全体の中での位置付けとしては、


資本論第1部 資本の生産様式
第4篇 相対的剰余価値の生産
第13章 機械と大工業

その中の第7節の要約を書きます。

要点を5点でまとめた。

機械の増加にも関わらず、

結局、機械が労働者を駆逐するので、

労働者の絶対数の減少が起きる。

総資本構成の中で不変資本の部分が増え、可変資本の割合は減る。



従来のマニファクチュアや手工業に対して機械経営が優位であるのは、

弓矢に対して、針発銃が優位であるのと同じくらい自明のこと。

 


機械経営は、一方では、

原料の直接的増加を引き起こす。

他方では、安価な機械生産物と変革された運輸交通機関とは、

外市場を征服するための武器となる。

外国の手工業生産物は破滅させられ、

強制的に原料供給地にさせられる。

機械経営に基づいた大工業の諸国では、
労働者は過剰になり(機械によって駆逐されるので)


積極的な海外移住が促進され、

植民地化(分業システムにおける原料供給地化)が進む。


結果、地球規模での分業化が進展する。

 


安価な生産費用を求める

不断の競争により、

機械化の流れが止まることはない。


工場労働者数の増加は、

景気に左右される。

産業循環の干潮期と満潮期という表現がされている。

つまり、労働者の運命は、生産システムに依存し、

うつろいやすく、潜在的に脆弱である。

 

  

 

 

資本論第1部第 13章機械と大工業 第6節機械によって駆逐される労働者に関する補償節の要約

資本論第一部資本の生産過程

第4篇相対的剰余価値の生産

第13章機械と大工業


第6節 機械によって駆逐される労働者に関する補償説

要約を書きました。

 

⑴ 機械は失業者を生み出すのは事実

 

ブルジョワ経済学のミルやマカロックの主張。

 

機械の普及による失業は一時的なものにすぎない。

 

対して、マルクスの反論。

 

可変資本に対して不変資本が増えるので、必ずしも資本が失業者を吸収しない。

 

機械の充用によってひき起こされる労働の減少 > 機械や石炭などのための労働の増加(>が数学の不等号)。

 

もし機械を導入することで今までよりも多くの価値量(=労働時間)が必要になるなら、そんなにコストのかかる機械をわざわざ導入することはないでしょ。

 

より低コストで効率の良い生産(つまりより少ない労働日で)が可能になるから機械を導入するのだ。


また、雇用の拡大が起きるにしても、直接または間接に、機械の採用によって生産規模が拡大されるからにすぎない。

 

 

⑵ 分業化がいっそう進む。

 

機械経営により部品や原料などの多様化する。結果、分業化がいっそう進む。

 

例えば、ある機械の部品がA, B, C, E, F, Gだと仮定しよう。その中で、部品Gにのみ特化した仕事が生まれる、ということ。

 


⑶奢侈品の増加

機械の導入により剰余価値率が上昇。

 

故に、資本家が富むので、奢侈品への需要が増大する。

 

 

⑷ 問題なのは機械そのものではなく、機械の資本主義的な使われ方。

 

生活手段からの労働者の遊離は機械のそのもの責任ではなく、その資本主義的充用から生ずる。

 

 

これが何を意味しているのか、マルクスは詳しい解説を書いていない。端的に言うと、こういうことだ。

 

 

敵対的な所有と非所有の階級関係も基づき、生産手段を持たない労働者の労働時間(=価値の源泉)を搾取する(労働者に支払っている賃金以上の働きを密かに強要している)ことで価値が増幅する資本主義生産様式では、労働者は雇われれば長時間働かされるし、非効率と見られれば失業者となる。

 

故に、機械は労働者の幸福の増大のために使われない。

 

 

⑸ 遠い将来に始めて身を結ぶような労働部門での労働の拡張

具体的に言えば、トンネルや橋などの建設で労働の拡張が起きる。

 

 

⑹不生産的な家内奴隷の増加

資本家階級の収入の増加により、不生産的な家内奴隷がより多く雇用されるようになる。

 

マルクス曰く、
不生産的な近代的家内奴隷の増加こそ、機械の資本主義的利用の代表的成果である。

 

現代社会へひきつけて考える

 

機械の導入により失業が出るのは必然だ。だって、その方が同じものをより安く生産できるなら、人件費をカットするのは合理的な決断だから。人情もくそもないフェーズにいずれなる。でなければ、儲からない会社で、いずれは、倒産する。

 

失業者を吸収するには、生産の規模を拡大するしかない。

 

これをグローバル化と言う。

 

そして、資本主義はすでに、地球をほぼほぼ覆い尽くしたように見える。

 

機械化、つまり自動運転、人口知能もろもろの機械化により失業者が増えるのは必至だと思うが、

 

そんな失業者を吸収する雇用主を見つけることがどんどん困難になっていく。。。。

 

これに対応するには、

継続的な自己教育により、自分自身を磨き続け、機械ができない分野で専門性を随時、開発していくしかないように思う。

 

自分の専門性をどんどん変えていける柔軟性と継続的な学習能力が求められる。

 

 

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資本論第1巻 第4篇13章 第5節機械と労働者の闘争の要約と所感

マルクス資本論第1巻第4篇13章第5節の要約と所感です。

 

第1巻のタイトルは資本の生産過程。

 

第4篇は、相対的剰余価値の生産。

 

13章は、機械と大工業。

 

第5節は、労働者と機械の闘争。

 

この節は書かれていないけど(前の章などには書かれている)、話の大前提としての

 

労働力の商品化が第0ステップ。これが資本制的生産様式の大前提。

 

労働力が商品となることで、資本家は大量の労働者を一つのプロジェクトに従事させることができる。

 

これにより一つのプロジェクトを分業によって遂行することができるようになる。

 

これが話しの大前提、第ゼロステップ。

 

次にこの節に書かれている第一ステップ。

 


第一のステップとして、まずは、分業化が進む。

 

例えば、針を作る仕事を考える。

 

それまで全ての作業工程を一人で行っていたのが、

針の穴を作る専門の人、磨きあげる専門の人、原料となる鋼を引き延ばす専門の人、、、

など分業化により労働の一面化がおこり、人間が一つの労働をすることに特化していく。


次に、動力源を持つ機械の登場。
それまで人間の役割であった道具を使うことが機械の役目になる。
労働のある一局面が機械によって代替される。



すると、労働の市場価値の低下が起こる。帰結は以下の2通り。

 

一方、労働市場での競争力が減り、失業する。

他方、容易に侵入しやすい産業部門に溢れるほど労働者が押し寄せ、賃金が低下。

 

また、労働の簡素化が起こり、それはまでは熟練を必要した技術が機械によって置き換えられるので、非熟練有働者が雇われるようになる。

 

要約すると以下の3ステップ。

 

(0) 労働力の商品化
⑴分業化、労働の一面化、
⑵部分に分かれた労働の機械化、
⑶労働者の失業or容易にできる仕事に労働者が溢れる


生産プロセス全体でみると機械の導入により、生産力は向上する。それが同時に、労働者を駆逐して失業させる。

 

これがラダイド運動など機械打ちこわし運動が起きた歴史的背景である。

 

歴史は繰り返すと考えると、今後、人口知能やIoTの進化により失業者の増加は、不可避と思われる。

 

現代のラダイド運動は、Google本社への労働者のテロ攻撃だろうか。

 

 

 

     

 

 

フリーメイソンと理神論

 以下、参照文献は、橋爪大三郎の『フリーメイソン』。

 

大変よく書けている本だ。

 

 

フリーメイソンは、簡単に言うとキリスト教の理神論をベースにした親睦団体だ。

 

キリスト教とは、ユダヤ教から派生した一神教だ。一神教では、神さまは一つだけ。多神教のように八百万の神はいない。キリスト教は厳密な意味での一神教とは言えないが、ここでは深入りしない。

 

最大のポイントは次の点。イエス・キリスト(神の子)を唯一の救いに主であることを信じすることで、救いを得ることが目的であるということ。救済が目的だ。

 

フリーメイソンは、キリスト教の中でも、理性を重視する理神論をベースした親睦団体だ。

 

理神論とは何か?

一神教では、唯一神と人間の間には絶対的な隔絶があるので、神様は人間の理解を超えた存在である。しかし、理神論では、神様から与えられた「理性」を用いることで、人間は神を理解できるとする。

 

 理性を使って、人間は自然科学を作り出した。自然科学では、自然法則(神の創った)を解明することが目的だ。

 

フリーメイソンは、18世紀にイギリスで設立され、その後、世界中に広まった。当時、ニュートンが物理学を打ち立て、科学革命が起こっていた。

 

しかし、そういった最先端の知を学べる場所がなかった。大学では、神学、法律学、医学などを教えていたが、自然科学は、貴族が余技でやるものだった。

 

理神論は、時代の先端をいく自然科学と相性がよく、フリーメイソンには新奇な思想や科学の知識を持った人たちが集まった。

 

また、信仰さえもっていれば、宗派は問わなかったので、宗教改革後のカトリックプロテスタントの対立もフリーメイソンの中ではなかった。

 

近代市民革命のリーダー、ベンジャミンフランクリン、ラファイエットジョージワシントンがフリーメイソンであったのも、偶然でもなく、陰謀でもない。

 

フリーメイソンのコミュティでは当時の最先端の知見の情報交換が行われていたのであり、革命を先導するような先進的な考え方をする人々が集まっていのだ。

 

今でいえば、インターネットやSNSのような役割を果たしたと言える。

 

フリーメイソンにはローマ・カトリックにおけるバチカンのような本部はない。グランドロッジというロッジ(集会)を上位で統括するロッジはあるが、グランドロッジ自体が複数ある。中心がないので、陰謀を企てにくい。ロッジの場所も一般交換されているので、政治謀略を企てるには向いていない。

 

フリーメイソン陰謀説は、国家の諜報機関によって作られてきた経緯がある。

カトリックは、フリーメイソンからスピンオフした組織であるイルミナティを廃絶した。イルミナティはドイツのバイエルンというカトリックの地盤の強い土地で生まれた。カトリックは保守的な傾向があり、新奇なフリーメイソンは都合が悪かった。

 

また、第一次大戦後、多額の賠償金に苦しんだドイツは国民の不満を矛先をユダヤ人とフリーメイソンに向け、ヒットラーが政権を握ると、フルーメイソン滅亡に乗り出した。

 

いつの時代も陰謀団体を警戒し、摘発するのは諜報機関だ。本当の秘密団体は、その存在自体が秘密なので存在自体がわからない。その意味で、諜報機関こそ、本来の意味での秘密結社だと言える。ナチスも、カトリック教会も、フリーメイソン中に自分の似姿を見たのだろう。

フリーメイソンは陰謀団体とは言えないだろう。


フリーメイソンの基盤になっている理神論は近代社会を理解する上で鍵となる。
民主主義では、人々が選挙で、公職につく人を選ぶ。選ばれた人は神によって選ばれた。選挙によって公職につく人を選ぶ民主主義が一番正しい政治のやり方とされている。


市場経済は正しい。自由な経済取引により、誰が儲けて、誰が損をするか、事前にはわからない。市場には神の手が働く。だから、関税などの規制は最小限にした方が良い。

 

これらは理神論的な考えだ。神の存在を否定せず、人間の理性も否定しない。

 

理神論は無神論と違う。無神論の代表格が唯物論マルクス主義だ。マルクス主義はバリバリの合理主義で、人の力で世界を改造しようとした。だから、民主主義や市場経済神の摂理が働くとは考えない。経済も、政治も、人間が介入するのが正しい。

 

ソ連は崩壊し、マルクス主義は失敗に終わった。市場経済も、民主主義も自律的に働くのが正しいと、みながまた思うようになった。無神論ではなく、理神論が勝利した。

 

フリーメイソンは理神論とキリスト教信仰のインターフェース(仲介者)である。

 

フリーメイソンはピークをすぎたかもしれないけど、人々の生きる信仰(宗教)と、世俗の合理的な制度との、インターフェースが必要ということは今でも変わらない。それは、中華世界でも、イスラム世界でも、インド世界でも言えることだ。

 

人々の素朴な信仰(キリスト教)と、合理的な社会制度の繋ぎ役、インターフェースがフリーメイソンであった。

 

2018年 北京旅行

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中国旅行で思ったこと。

安宿最高。

北京で安宿に泊まった。

 

 

一時期は、カウチサーフィン(これは無料)などもやっていたが、現在ではやっていない。

経験上、カウチサーフィンは当たり外れがややあり、それはレビューからは見えにくいことだったりする。

今回は、レオホステルという北京で最高クラスのレイティングを誇る安宿に泊まった。

一泊千円ちょっと。

6人部屋だろうが、なんだろうが気にしない。

レイティングの最高に高いホステルなら大きな問題はないだろう。

レオホステルの利点。

友達がたくさんできること。

ホステルの中にバー件レストランが併設されており、他の旅行者と交流できるようになっている。

今回の北京行きの理由の一つは中国のブロックチェーンの専門家と会うことだった。

しかし、とある事情があり、それがかなわず。

しかし、なんと安宿で、ブラジル人でスイスの会社に勤めるブロックチェーンの専門家と会うことができた。

結果、深夜まで経済の未来、および経済思想について語りあい、今だにFBのメッセージで情報交換が続いている。

彼は相当のオタクだと思ったが、なかなかの武闘派で、少林寺憲法の使い手らしい。

また、その他にも、データサイエンティストという職業に興味があり、プロに会いたいと思っていたら、イスラエルのデータサイエンティストでカリフォルニアで働く人と出会った。

結構単純なところがある自分は、データサイエンティストなら、自分にもできると思った。

さらに、来年、学会でニューヨークに行くかもしれないのだけど、

ニューヨークで活躍するジャズピアニストと仲良くなった。

同じ学校の卒業生で、しかも、
お互いに哲学に興味があるとのことで、哲学談義に花が咲いた。

来年、ニューヨークで再開することを約束した。

この他にも、モンゴルを自転車で走破したフランス人女性や様々なクレイジーな旅を続けるイギリス人カップルなど、

レイティングが高い安宿には面白い人たちが集まってくる。

 

https://www.leohostel.com/