資本論第1部 第17章 労働力の価値または価格の労賃への転化の解説

 

資本論第1部 資本の生産過程
第6篇 労賃

第17章 労働力の価値または価格の労賃への転化

 

資本論 (2) (国民文庫 (25))

資本論 (2) (国民文庫 (25))

 

 

 

 


労働力の価値とは、労働力を再生するために必要な価値量によって決まる。

 

具体的には、


⑴自分自身を再生産

⑵自分の家族を再生産

⑶教育費

 

 

にかかる価値量によって決まる。

 


これは商品の価格がそれを生産するために必要な価値量によって決まるのと同様である。

 


針を生産するには一定量の労働(価値の源泉)が投入される必要があり、これが針の価値量となる。


同様に、労働力を生産するのにも(上記の⑴〜⑶)、一定量の価値量が必要である。

 


しかし、


実際には、労働力の価値は労賃として現象するので、

 


具体的な労働の機能自体に対して賃金が支払われるように現象し、

 


労働力の再生産にかかったコスト(価値量)、

 

つまり⑴〜⑶によって決まるという本質が覆い隠されてしまう。

 

 

労働力の価値が賃金として現象することで、


全ての労働が支払労働として現象する。

 


結果、

 


不支払労働(剰余労働)の部分が見えなくなる。

 


対して、不役労働では、不役民が領主のためにやる強制労働と

 

彼ら自身の生活手段を補填するための労働は空間的、時間に分離しているので、


差異がわかりやすい。

 

 


需要と供給で労働力の価値を説明する古典派経済学は


転倒した認識(現象形態)にとどまるために


物事の本質にせまることはできない。

 

 


マルクスは、転倒した認識が発生する原因について解説する。

 

 


転倒した現実認識が発生する理由として


①資本と労働との間の交換が他の全ての商品の売買と全く同じ仕方で現れる(現象する)。

 

つまり等価交換として現象するということ。

 

 

② 労働力の使用価値である労働が価格をもつのは、綿花の使用価値が価格を持つのと同じ。

 

もちろん使用価値と交換価値は別物であるが、言語表現として

 

「労働の価値」はそれほど不合理ではない。

 

例えば、「パソコンの価値」という表現は、

 

その使用価値を指すとも、交換価値を指すとも言えるからである。

 

 

③ 賃金の支払いが労働が終わった後に行われるので、ますます労働への支払いにならざるえない。

 

 

④労働者が供給するものが、実際には彼の労働力ではなく

 

一定の具体的有用労働であり、

 

その同じ労働が別の面からみれば一般的な価値形成要素であることは、

 

科学的分析によらなければならない。

 


⑤労賃のとる現実的な変化


現実の労賃変動は、労働日の長さによって変動する。

同じような作業に従事する労働者の賃金が差異する場合、

 

あたかも労働の質的差異のように見える。

 

 

また、資本家の頭の中でも不支払労働を搾取しているという認識はない。


資本家は安く買って高く売るという単純な搾取の関係が頭の中にあるだけである。


つまり、彼らの頭にあるのは、

 

労働力の価格と労働力の機能が作り出す価格との差だけであり、

 

この点では、労働力は他の商品となんら変わりはない。


もし労働力の価値通りに賃金を支払えば、資本というもの存在しない


という風には資本家は考えない。

 

この章では、労働力の価値が労賃として現象し、

 

本質の方である、労働力の価値は見えなくなる点について

 

論じられた。

 

構造的な所有(資本家は労働者の不支払労働を搾取する)と

 

非所有(生産手段を持たない労働者は不支払労働を搾取されざるえない)

 

の不平等関係は多い隠される。

 

 

 

資本論 (2) (国民文庫 (25))

資本論 (2) (国民文庫 (25))

 

 

 

 

資本論の全体像】
第1部 資本の生産過程
第2部 資本の流通過程
第3部 資本主義的生産の総過程 1、2巻の理論がどう現実の中で顕在化するかを記述。

 

 

資本論第1部 第16章 剰余価値率を表す種々の定式の解説

 

資本論第1部 資本の生産過程
第5篇 絶対的および相対的剰余価値の生産

第16章 剰余価値率を表す種々の定式

 

 

資本論 (2) (国民文庫 (25))

資本論 (2) (国民文庫 (25))

 

 

 

端的に言うと、定式の分母に何をもってくるか?ということ。


ブルジョア経済学は、


分母が、総労働日であり、

つまり、剰余労働/総労働日

 

 

対して、マルクスは、


分母が必要労働。


そうすると、


剰余労働/必要労働


となり、


支払労働(必要労働)と不支払労働(剰余労働)が明確に区別できる。

 

 

資本論の全体像】
第1部 資本の生産過程
第2部 資本の流通過程
第3部 資本主義的生産の総過程 1、2巻の理論がどう現実の中で顕在化するかを記述。

 

 

資本論第1部 第15章 労働力の価格と剰余価値との量的変動の解説

第15章 労働力の価格と剰余価値との量的変動


資本論第1部 資本の生産過程
第5篇 絶対的および相対的剰余価値の生産
第15章 労働力の価格と剰余価値との量的変動

 

 

資本論 (3) (国民文庫 (25))

資本論 (3) (国民文庫 (25))

 

 


労働力の価格と剰余価値との相対的な大きさは次の3つの事情に制約される。


⑴労働日の長さ

⑵労働の正常な強度

⑶労働の生産力


第1節〜4節でこの3つ要因の変動の組み合わせについて議論が進行する。

第1節 労働日の長さと労働の強度とが不変で(与えられていて)労働の生産力が可変である場合

第2節 労働日と労働生産力とが不変で労働の強度が可変である場合

第3節 労働の生産力と強度とが不変で労働日が可変である場合

第4節 労働の持続と生産力と強度とが同時に変動する場合


この中で注目に値する記述は第4節の後半だろう。


第4節の後半でマルクスは、労働の強度と生産力とが増大して同時に労働日が短縮される場合について分析している。


労働の生産力が増進すれば、必要労働が減少し、労働日は短縮されうる。

しかし、資本主義的生産様式の無政府的な競争体制は


生活手段と労働力の無制限な浪費を生み出す。


結果、不必要な商品やサービスが世の中に増えていき、


その生産および消費のために労働者の時間が使われるため、


必ずしも労働日は減少しない。


仮に、全ての労働が資本家と労働者の垣根を超えて


普遍的に分配されていれば、生産力に増進によって


個人の自由な時間は増えるだろう。


しかし、現実はそうなならない。


資本主義社会は、


資本家のための自由な時間が、

 

大衆の全生活時間を労働時間化する


ことによって生み出される。

 

資本主義下では、

 

労働の生産性と強度が上がっても、


労働者の自由な時間が単純に増加するということにはならない。

 

 

 

資本論 (2) (国民文庫 (25))

資本論 (2) (国民文庫 (25))

 

 

 


資本論の全体像】
第1部 資本の生産過程
第2部 資本の流通過程
第3部 資本主義的生産の総過程 1、2巻の理論がどう現実の中で顕在化するかを記述。

資本論第1部 第5篇 第14章 絶対的および相対的剰余価値の解説

 

資本論第1部 資本の生産過程
第5篇 絶対的および相対的剰余価値の生産
第14章 絶対的および相対的剰余価値

 

 

資本論 (3) (国民文庫 (25))

資本論 (3) (国民文庫 (25))

 

 

 

 

 

以下、第14章の解説です。


まずは、生産的労働の労働の概念について解説する。


もともと生産的労働の概念は5章でも論じられた。

 

それは端的に言えば、

 

 

人間が自然に働きかけて生産物を作り出すこと(5章)。


一方では、生産的労働の概念が拡張する。


つまり、協業が発展することにより、生産的労働


たりえるためには全体労働の部分であるだけで十分となる。

 

他方では、生産的労働の概念が狭くなる。

 

“生産的”=剰余価値の生産に寄与する労働のみとなる。


資本家のための剰余価値を生産する労働、


すなわち資本の自己増殖に役立つ労働のみが


生産的労働となる。

 

 

次に、この章の難所である、


形式的従属と実質的従属について説明する。


両者には歴史的な違いがある。

 


実質的従属は、主に歴史が機械大工場まで進んでいる状態を指すと考えられる。

 

絶対的剰余価値を生産においては、


形式的な従属で十分である。

 

労働者が自分の労働力の価値の等価を超えて労働日が延長されれば良いのだから、

 

形式的従属、つまり自然発生的な資本のもとへの労働の従属でも十分である。

 

 

それに対して、

 

相対的剰余価値の生産は、生産性の向上を伴い、


労働の技術的過程と社会的編成とが徹底的に改善・変革される。

 

これにより、資本への形式的従属よりも進んだ

 

資本への実質的従属、つまり”独自な資本主義的生産様式”が生まれる。

 


労働手段への労働者の従属、主体(労働者)と客体(労働手段、つまり機械)の転倒

 


いわゆる主客転倒は、効率的生産の追求、つまるところ相対的剰余価値の生産


を通じて生じてくる。

 

 

結果的に、労働者の資本への実質的従属が起きるのである。

 

形式的従属=手工業、マニュファクチャのステージ。

 

実質的従属=機械大工場のステージ。

 

と考えるとわかりやすい。

 

ここまで明瞭に二分割できるかは、

 

なんとも言えないが、

 

理解のために、あえて単純化して考えると

 

この二分割は有効と思われる。

 

 


次に、絶対剰余価値と相対的剰余価値の区分について説明する。


ある面では、


相対的剰余価値も絶対的と言える。

 

なぜなら、


労働者自身の生存を必要な労働時間を超えての労働日の




 

絶対的延長を条件としているのだから。

 

他方で、


絶対的剰余価値も相対的とも言える。


なぜなら、必要労働時間を労働日の一部に制限することを可能にするだけの

 

労働の生産性の発展を条件にしているのだから。

 

 

 

では、両者を区別するにはどこに注目したら良いのか?


与えられた労働の生産性と強度のもとでは、

 

剰余価値の増大は、労働日の延長に寄らざるえない。


この場合は絶対的剰余価値

 


反対に、与えられた労働日のもとでは、

 

剰余価値の増大は、

 

労働の生産性または強度の変動によるほかはない。


この場合は相対的剰余価値と範疇と言える。

 


次に、剰余価値の自然的基礎に関するマルクスの記述について解説する。


このあたりから14章は読みやすくなる。


もし労働者自身が彼自身の生存に必要な生活手段を生産するのに


彼の時間の全てを必要とするなら、剰余価値は発生しえない。

 

その場合はしたがって、資本家もなく、


奴隷所有者も封建貴族も、どんな大有産階級もない。


労働時間を搾取しようがないのである。

 

 

 

人間が原初の動物状態から抜け出して、


彼らの労働そのものもすでにある程度まで社会化されているとき、


はじめて、ある人の剰余労働が他の人の生存条件になるような諸関係が現れる。

 


資本関係の成立は、さらに長い発展過程を待たなければならない。

 


また、

 

労働の生産性、および剰余労働は自然的条件に影響される。

 

まず、自然条件が生活手段へのアクセスに影響を与える点について考察しよう。


生活手段へのアクセスとは、つまるところ、土地の豊度などの自然の富の豊かさである。

 

資本主義的生産の元では、他の事情が不変で労働日の長さが与えられていれば、


剰余労働の大きさは、土地の豊度に依存するだろう。


つまり、土地が豊かであれば、豊かであるほど、


自分自身および家族を再生産するために必要な価値量である


必要労働を下げることができ、その分、剰余労働が増える。

 

 

 

他方で、自然条件は、生活手段のみではなく、労働手段へのアクセスへも影響する。

 

この点で言えば、


最も豊穣な土地が資本主義的生産に最も適した土地だとは限らない。

 

豊かな土地は剰余価値生産の可能性を与えているだけである。

 


資本主義的生産様式は人間による自然の支配を前提するが、


自然が豊かすぎることが技術の進歩の上では最適とは言えない。

 


有り余る自然に、人間が自然に頼ってしまう可能性もあるからだ。

 

この意味で、地理的な区分で言えば、熱帯ではなく温帯こそ資本の母国と言える。

 

また、土地の分化、土地の天然産物の多様性こそ、


社会的分業の自然的基礎をなすと言える。

 


また、人間は仮に暇な時間があっても、剰余価値を作り出すために働くとは限らない。

 

その時間で自分のために生産的労働をするには、色々な歴史的事情が必要であり、


他人のために剰余労働をするには外的な強制が必要となる。


この外的な強制については、資本論第1部の終盤で論じられることとなる。

 


最後に、マルクスは、リカードやミルなど経済学者批判を展開する。

 

批判の骨子は、


これら俗流経済学者が、


剰余価値の源泉(=労働時間の搾取)については、無知である点に向けられている。

 

 

 

資本論 (3) (国民文庫 (25))

資本論 (3) (国民文庫 (25))

 

 

 

資本論の全体像】

第1部 資本の生産過程

第2部 資本の流通過程

第3部 資本主義的生産の総過程 1、2巻の理論がどう現実の中で顕在化するかを記述。

資本論第1部 第4篇 第13章 第10節 大工業と農業の解説

 

第10節 大工業と農業


資本論第1部 資本の生産過程
第4篇 相対的剰余価値の生産
第13章 機械と大工業
第10節 大工業と農業

 

 

 

資本論 (2) (国民文庫 (25))

資本論 (2) (国民文庫 (25))

 

 

 

 

第10節の大工業と農業を解説する。

 

 


農業への


機械の導入は農業労働者の「過剰化」を促した。

 

つまり農業分野で失業者が増えたということ。

 

 

 

また、農業の機械化は農民を農業労働から駆逐して、

 


賃金労働者への変えていった。都市に出て工場などで賃金労働者に従事する人が増えた。

 


農村では労働者が分散しているために、組合や連合を組織するための抵抗力が弱い。

 

しかし他方で、都市では労働者が集中しているので、その抵抗力は強い。

 

 

 

最後にマルクスは以下のようにまとめる。


資本主義的生産様式は、


自然環境(土地の代謝)と労働者の破壊することによってのみ

 

社会的生還過程の技術と結合とを発展させる。

 


つまり簡単に言うと、

 

⑴労働者と⑵土地(自然)の破壊によってのみ、

 

この両面のからの破壊によってのみ


資本主義的生産の進展が進む。


一方で、労働者自身が破壊される。

 

つまり機械という労働手段は、階級対立を固定化させ

 

生産手段を持たない労働者の抑圧、搾取、貧困化につながる。

 

協業による効率的生産を狙った

 

労働過程の結合は、

 

 

労働者者から、個人的な活気や自由を奪う。

 

機械化により労働者が生産プロセスの一部になることは、

 

活気を奪い、従属度が増すゆえに、自由と独立が損なわれる。

 

 


他方で、土地(自然)の代謝の錯乱が進む。

 

人間が食料や衣料の形で消費する土壌成分が土地に帰ることが錯乱される。


これにより、

 

都市労働者の健康が破壊され、農業労働者の精神生活も破壊されることになる。

 

資本主義的生産では、労働者の破壊と土地(自然)の破壊が進展するのである。

 

 

資本論 (2) (国民文庫 (25))

資本論 (2) (国民文庫 (25))

 

 

 

資本論の全体像】

第1部 資本の生産過程

第2部 資本の流通過程

第3部 資本主義的生産の総過程 1、2巻の理論がどう現実の中で顕在化するか研究。

 

2018年の金価格 総供給量が減る兆しはまだない  

ワールドゴールドカウンシルの金の需給に関するレポートが年に4回出る。


それを元に解説する。

 

金価格分析においてはまず重要なのが総供給

 

ざっくり4000トン。


その内訳は


鉱山から3000トン

リサイクルが1000トン。


金投資をする上で大事な指標が総供給量だ。


総供給料が中長期的に減っているか、増えているがとても大事。

 

減っていれば、金の投資は鉄板と言える。

 

総供給量が減る兆しはまだない。


次に、

総需要。


4000トンで総供給とバランスしている。


その内訳は、


ジュエリーが2000トン。

投資(バー、コイン、ETF)が1000トン

残りの1000トンが中央銀行の買いとテクノロジー用の買い。

 


まずはジュエリーの2000トンから見ていく。


その内訳で特筆すべきは、中国人とインド人の購買行動。


中国が600トン、インドが600トン買っている。


金の価格は世界どこでも同じだから、


その価格を分析しようと思ったら、


インド人と中国人がどのぐらい買うかが、価格決定において大きな役割をしめる。


これは覚えておく良い。


次に、

投資(バー、コイン、ETF)が1000トン。

もちろん、これも中国人とインド人の占める割合が大きい。

 


そして、残りの1000トンの中央銀行買いとテクノロジー用の買い。


各国の中央銀行の買いが500トンに


テクノロジー用に500トンと覚えておくと良い。


この最後の1000トンの需要に関しては、


実際には、テクノロジー用よりも、


中央銀行の買いの方が2018年はだいぶ多かった。


これは、ロシアやカザフスタン中央銀行は金の保有量を増やしていることが大きな理由だ。


ロシアは、米国債保有量を減らして、金を増やしている。


背景には地政学的なリスクを懸念しての行動と考えられるが、


具体的にはイランを中心とした中東情勢が戦争に発展する可能性を考えるのかもしれない。

 

 

 

 

以上、ワールドゴールドカウンシルのレポートを元に作成。


金の情報源で、スタンダードなのがワールドゴールドカウンシルです。


情報源は英語ですが、たまに、ブログでもアップするかもしれません。

 

 

 

資本論第1部 第4篇 第13章 第9節 工場立法(保健・教育条項) イギリスにおけるその一般化の解説

資本論第1部 資本の生産過程
第4篇 相対的剰余価値の生産
第13章 機械と大工業
第9節 工場立法(保健・教育条項) イギリスにおけるその一般化

 

 

 

 

 

第9節工場立法(保健・教育条項) イギリスにおけるその一般化について解説する。

 

この節では、

 

イギリスにおいて工場立法が一般化してく過程について論じられている。

 


まずは保健条項について。


いくつかの清潔維持方法や、換気や、危険な機械に対する保護などの規定が述べられているにすぎない。


つまり、資本主義的生産様式では、ごく簡単な清潔保健整備でさえ、国家の強制法律によって命令されなければそなえられない。

 

次に教育条項について。

 

初等教育を労働の強制条件として宣言しているが、その成果は、教育および体育を、筋肉労働と結びつけることに帰着する。


教育の目的はあくまで労働力を作ることにある。

 

 

 


続いて展開される以下の記述が本節で最も興味深い点と言えよう。

 


大工業の矛盾とは、

 

 

一方で、生産基盤の不断の変転、つまり生産に用いる技術の進歩により、

 

労働者に必要とされる技能が絶えず変化する。

 

故に、「全体的に」発達した労働者を要請する。

 

他方では、協業による生産効率の最大化を目的とするため、部分労働化が進展する。


生産ラインのある一点に特化した専門化、タコツボ化が起こる。

 

つまり、一方では労働者に全体的に発達したスキルを求めるの対して、


他方では、部分労働化が進展するのだ。

 

 

前者の歴史的背景について説明されている。

 


前近代においては、技術の基礎は保守的であり、変化することはなかった。


技術的基礎は、職人の秘儀によるもので、それはいわばヴェールに覆われているようなものであった。

 


そして、その伝統的な生産様式を維持することが産業階級の存在条件だった。

 


ところが、大工業時代では、

 

秘儀(生産の技術的基礎)を覆い隠していたヴェールは引き裂かれ、


社会的労働の種々雑多は、科学的計画の基に分解され、要素分解されていく。

 

また、大工業時代は、生産の技術的基盤が不変ではない。

 

生産の技術的基礎は、自由競争下の技術開発競争に晒されることもあり、

 

イノヴェーションが恒常的に起き、可変である。

 

社会の中での分業も常に変化し、

 


資本と労働者の大群を、一つの生産部門から他の生産部門へと投げ出し入れる。

 

したがって、大工業は、

 

労働の転換、機能の流動、労働者の全面的可動性をその本性とする。

 

 

 

資本制的生産様式は、技術変化に対応できる

 

全体的に発達した知性/能力を持つ個人をつくることを要請する。

 


そのために、技術学校をつくり工学や農学が教えられるようになる。

 

全体的に発達した個人を作る唯一の方法として教育システムが確立されていく。

 


資本制的生産様式を駆動されるため、

 

イギリス工業立法が初頭教育を工場労働と結びつけることになる。

 


つぎに、家族制度と工場立法の関係についてマルクスは論じる。

 

 

工場立法は、旧い家族関係の崩壊させる。

 

工場立法が家内労働を規制するかぎりでは、親権を侵害し、それは子供を最終的に保護

 

したわけではなく、

 


旧い家族関係を崩壊させながら、児童にたいする資本主義的搾取を乱用する道を開いた。

 

 

 

 


また次第に工場立法が拡張されていく。

 


最初は、紡績業や織物業に適応される法律だったが徐々にあらゆる産業に適用された(法律の実行を委任された都市や地方の官庁の手のなかで死文になることもあったようだが)。

 

その理由としては、

 

資本はある部面で国家の監督を受けると、他の部面で無節制に埋め合わせをつけようとする点。


つまり工場立法の効果を打ち消すような力が働くこと。

 

または、資本は競争条件の平等を求める点が挙げられている。

 

つぎに、鉱山労働に関する裁判記録が紹介されている。

 

鉱山労働における児童・婦人労働に関する法律はできたが、その実効性が乏しく、


裁判になっている。


ここでは、資本家による労働者の搾取という本来的な論点から、

 

 

鉱山労働と工場労働のどちらが厳しいか?という論点にすり替えられている。

 

労働者には全体観がなく、工場にも鉱山にも共通して存在する搾取構造があることを理解しない。

 

 

 

 

 

 

資本論の全体像】

第1部 資本の生産過程

第2部 資本の流通過程

第3部 資本主義的生産の総過程 1、2巻の理論がどう現実の中で顕在化するかを記述。